zho/eng/fin/jpn/kin/kor/mon/spa/vie
高校生の声
床に座る君たちへ
凪
高校生になった私は、単に理想や憧れから演劇部に入った。体験にも二度ほど行ったが、発声練習や台本決めしかしていなかったので、部の実態には気づけるはずもなかった。
ここは中高一貫校で、私は高校から入った外部生、それ以外は(一学年上の副部長を除いて)みんな中学からいる内部生である。だから同学年でも、部活においては4年目のベテランなのだ。
入部したらすぐ、なんの役割に就きたいかを聞かれた。選択肢は役者・音響・照明。この部の劇がどんなもんかもわからないし、とりあえず様子見で音響にした。しょっぱな役者はなんか気恥ずかしいし、音響の機械がかっこよかったのでそれに決めた。
ところで、私が入部してからドン引きしたことがある。コーチたちは、部員たちを呼んでフィードバックなどをするとき、「ダメ出ししまーす」と言うのだ。その言い方は良くないのではないか。ダメ出ししかしないのか? 一切褒めないのかあなたたちは? しかしそれに何も言わない部員たち。さらに、いそいそとコーチたちが座っている椅子の前に正座で床に座ったのだった。これはいつの時代だろうか。私がおかしいのか?
最初はもちろん他の音響担当の子の横でなんとなくのやり方を見てたりしていたが、何しろこの部は人が足りなかった。数ヶ月後には大会があって、その子が役者になってしまった。さあ困った。音響はもう、私しかいない。そんな入ってすぐにそんな大役を一人で担う羽目になってしまった。
しかしそもそも、私にはやる気がない。私は部活の予定表に週四と書いてあって、週四ならまあギリ許容範囲かなとか思っていた奴である。部活なんて楽しくやるもので、気が向かない日は休もうと考えていた奴でもある。それなのに、私が休んだら他がいないのだ。練習もしなければならないので、渋々部活に参加するようになった。
加えて、これはこの部員たちによる新入生歓迎公演の映像を見て思ってしまったことだが、大して上手くないのだ。私の理想が高すぎたってのも否めない。何しろプロによるミュージカルばかり見ていたから。でも、それにしても微妙なのだ。確かに普通に話すような声の出し方とは変えているけど。確かに身振り手振りも普段よりは大きいけど。演劇経験者の母にもその映像を見せたら、半分も見ないうちに「もういいや」と言われた。私はこのときから、そもそもコーチたちが微妙なんじゃないかと思っていた。それなのに他の部員たちはその人たちの指示を聞いたり、意見を求めたりしている。日が経つにつれて、その疑念がだんだん大きくなっていった。
どのくらいの実力なのかもわからないコーチ、それに従い微妙な演技をする部員、さらに演劇経験のない顧問。一体誰がこの部活に参加したいと思うだろうか。
そんなこんなで迎えた大会。会場は私たちの学校ではないため、機材もいつものではなく、使い方がわからないという単純なミスをして終わった。やはり、始めて数ヶ月の新人一人には荷が重かった。しかも、そこの学校の人に「あなたたちの学校って、いつも音響多いよね」と言われた。まさか、その演技の微妙さを音響でカバーしようとしているのか……。私が大胆な失敗をしたのでそれなりに罪悪感はあったが、心の奥では「ほらね」という感じだった。
文化祭もやったが、私の反応としては似たようなものだ。これでいいんだね、ふーんという気持ちだった。ずっとこんなだったので、文化祭が終わったら部活をやめてやろうと考えていた。
いざその気持ちを伝えたとき、やはり引きとめられた。さっきも述べたように、人数がカツカツなのだからそりゃあやめられたら困るだろう。こんな気持ちで週四もやるのは精神衛生上よろしくない。でも、私は部員たちのことが嫌いなわけではないので情に負けてしまった。週二でもいいから来てほしいと言われた。かつてはそういう先輩もいたから、と。週二ならまあ……とOKしてしまった。
次の劇は決まっていた。新入生歓迎公演は、毎回同じ台本をやるようだ。そう、上手いとは言い難くて、母が半分以下で飽きたあれである。前回と同じようにやっては面白くないしつまらない。母にどうすればよりよくなるかの意見を求め、それなら面白くなる! と思った演技をオーディションでやった。あの映像とは違う感じでやってみた。私は役者をやってみようと意気込んだわけだ。
結果は、ダメだった。受かったのは、今までの演技を踏襲した他の子だった。しかもそれを決めたのは部員ではない。コーチだ。彼らは部員に相談もせず決めてしまった。コーチの一存で決めることになったのには理由がある。部員がそれを望んだのだ。当然ながら私は、部員で決めることを望んだ。この人たちに意志はないのか? そんな他人任せの人ばかりいる部活なんて、今すぐにやめてやろうと思ったが、ここで投げ出してやめるのも責任感のない奴だなと思われそうだ。仕方ない、第二希望の役でもいいからひとまずこの劇だけはやり遂げてからやめようと一旦踏みとどまった。
だが、みんなの役が発表されたあと、コーチが「一度前に集まってー! 今丁度椅子あるし、座りなよ」と言ったとき。私は失望した。部員たちはその椅子を素通りし、コーチの前の床に座り出したのだ。ついこの前まで、部員たちはコーチに対し不満を漏らしていた。時間通りに来てくださいだとか、予定表に来ると書いてあるならちゃんとその通りに来てくださいだとか。(その程度のこともできないコーチなのかとは思ったが、)それを本人たちに打ち明け、今後は私たちコーチも気をつけると宣言されるという一連の流れを経て対等な立場になったんじゃなかったのか。この人たちは、それでもなお自ら下につくのかと思った。やってられない、やめようと決めた私はコーチの正面にある椅子に、おもむろに、堂々と、腕を組んで座った。その次の日、退部届けを提出した。理由を問われた。私は言った。
「これ以上演劇を嫌いになりたくないので」
色んな宗教ちょっとずつ信じちゃだめですか?
とみとみJ
「だめです」
おっと、神の声が聞こえましたね。というのは冗談で、私には神の声なんて聞こえません。しかも私は無神論者ですから。
有名かもしれませんが、日本人というのは正月を楽しみながら信じながらクリスマスを盛大に祝う“自称”無神論者の集いです。まぁなんで日本がそうなったかは私よりもっと詳しく・正しく説明できる人がいると思うのでそこは割愛しましょうか。
ちなみに、ここで話すことはあくまでも私が最近感じたこと思ったことなどであって誰かを傷つけるためにこれを書いてるわけではないです。そこは理解したうえで読んでくれると嬉しいです。
ではでは、本題に入りましょう。私の今までの概念として、宗教はとても複雑で人と話すときには触れてはいけない話題ランキングTOP3に入るようなものだと思っていました。だから私は今まで宗教になんて興味ありませんでした。というか避けていました。ですが、高校2年生になり世界史の授業を選択したことで違う世界が見えてきました。
まぁ例はたくさんあるのでどの話をすればいいか迷いますが、これにしましょうか。キリスト教のイエスはユダヤ教の形式的な姿がいやでこの宗教を作ったとかそんな話がありますよね。そこも面白いですけど、面白いところはそこから宗派が生まれることなんです。「イエスの本性は神だ!」「いや人間だ!」「いやどっちもだよ!」という、もはやそれって人間が考えちゃってね?しかも貴族や皇帝が会議を開いて真面目に「イエスはこうに違いない!」「いやこっちでしょ」みたいな話をしていたと考えるとなんだかもっと他にやることあるんじゃないの?って、政教分離が当たり前の概念の中で生活してる私はそう思いました。だから宗教って意外とシンプルで“人間性“が現れているものなんだなって思います。”宗教”って面白いなぁとしみじみと感じてしまいます。
あと、ヒンドゥー教も興味深いですよね。最近、私は学校のダンスの授業でインドのダンスを踊ってます。正確に言えば、インド映画の音楽を使っていろんなインド映画に出てくるダンスの振り付けを合体させて一つのダンスを作る感じですね。合体なんてまさにヒンドゥー教って感じですね!今インドのダンスを踊っているときが一番楽しいですね。自分を解放しているような気がします。あ、何度も言うようですが私は無神論者ですよ。
ダンスの授業の影響で自分でヒンドゥー教についてたくさん調べました。特に『ラーマーヤナ』について調べましたね。あの叙事詩はとっても面白いです。いろいろな日本の有名なゲームや映画の元ネタになっていることを知ったときは声が出ましたね。そういう他の国の宗教が日本に大きな影響を及ぼしていると考える興味深いし、日本人は結構知らないところで宗教に触れているんだなぁと思いました。
そんなことから最近、「どんな宗教にも面白いこと興味深いところはあるから、いろんな宗教のいいところをちょっとずつ信じたいなぁ」と思いました。せっかく神様がこんなに素敵なものを残してくれたんだったら、できるだけふれたいじゃないですか。宗教は今の私たちの習慣や社会システム、経済を構築している要因でもあるのでそれを理解したり、そうしようと努めるのは大事なことだと思うんです。信じることや理解することはまた違うかもしれませんけどね。まぁ自分勝手だと思いますが、私はいいと思ったところは信じたいなぁと思うんです。だってその方が人生を生きやすくすることができると思うから。
だからいろんな人にも自由なスタイルで宗教や神様を信じてほしいなと思います。私はクリスマスも正月も祝うし、いろんな聖典や叙事詩を読んだり、時には神頼みもしたいと思います。
あ、でも、私は自分のことをまだ“無神論者”だと思ってます。
名前のない宗教
蝉の仮面
日本は基本的に「無宗教」国家だ。
しかし、無宗教と名乗るにはあまりにも宗教と関わりすぎている。
この事実の裏付けとして、3つくらい自論を説明しよう。
日本人は、とても物を大切にする。
どんな物でも、「八百万の神」が宿っているとされていて、物を粗末に扱うと「バチが当たる」と、どの家庭でも教えられ育つ。
また、12月24、5日はクリスマスを過ごし、1週間経たない間に、神社に行き初詣に行く。言ってしまえば二股だ。
人が亡くなった時は寺へ行き、弔う。お通夜、○回忌、仏壇など、人が亡くなってからも、仏様の世界に送り届けるためにこのような儀式をする。
近くの神社の神、または先祖代々受け継いできた神を祀る「神棚」と、故人を弔う「仏壇」が同時に存在している家もある。二股から三股になってしまったではないか。
なのに日本人は宗教を苦手とする人が多くて面白いと思う。
つまり、日本人にとって「宗教」は、「畏敬の念を持って接すもの」ではなく、「至って普通の、生活のすぐ近くにあるもの」なのだ。
また、日本人が「宗教」に近寄り難いイメージを持つのにも理由があると考えた。
おそらく日本人は、「宗教」に暴力的、未知に対する拒否感などを持っている。
その根底には、宗教が原因となった虐殺や、カルト的運動、タチの悪い宗教勧誘、政教問題など、日本の歴史が根強く関係している。
「地下鉄サリン事件」を知っているだろうか。「オウム真理教」という新興宗教の信者の行いによって、なんの罪もない、ただ、その日その地下鉄に乗っていた大勢の人が苦しみながら死ぬ事件が発生した。人を救うはずの宗教が酷い方法でたくさんの人を殺している。まるで「悪魔が殺した人間は4人、天使が殺した人間は2038344以上」ということを思い出させる出来事ですね。
また、私の使っている路線では、よく「日蓮宗」という宗教が、道行く人にしつこすぎる宗教勧誘をしている様子を見ない日はないほど見ている。私自身も、その宗教勧誘を受けたことがあるのだが、私を引き止めると、近くの信者がぞろぞろと現れ、逃げる隙も与えず大勢が私を囲み、「名前と住所と電話番号を教えてくれるまで帰さない」と腕を掴まれながら脅されたことがあり、私自身その宗教にいいイメージを持っていない。
また、(宗教名)二世という言葉が存在するように、親が宗教によって家の財産を使い込み、その子供がご近所さんなどの世間体の目を気にして生活しなければならなくなったり、破産して生活が貧しくなったり、学校に通えなくなったり。子供が宗教の呪縛によって普通の生活を送れなくなることは少なくない。
同じような理屈で、「宗教」に対して不快感を覚える人も少なくないと推測する。しかし、寺のような「仏教」や神社のような「神道」、そこらに教会がある「キリスト教」という日本のメジャーな宗教は、私たち日本人の生活に溶け込み一体化し、そこら中に寺や神社がたくさんあることに誰も違和感を感じていないし、それらの宗教を嫌厭する人もほとんどいない。私が16年間生きていて、仏教、神道のアンチは見たことも聞いたことも出会ったこともない。なんなら地図記号には寺・神社というものが存在している。優遇されすぎじゃーん。
ここで目を向けないようにしていた問題に直面、なんで私はそれらに対して、うっすらと不快感を覚えるんだろう?もしかしてジャパニーズたちって、未知のものに恐怖を示すのかな?
多分、日本人誰しも「神なんて存在しない、神に救ってもらうなんて非現実」って思ってるんじゃないかな?
私もいつも思うよ。あの世じゃなくて、この世で救われたいんだ。
目に見えない神より目の前の幸せってやつよ。
灰色の境界線
ダッフィー
社会には、理不尽や矛盾が溢れ、それらは曖昧に絡み合いながら、当たり前の顔をして鎮座している。そんな中で、自分なりの意味を探し、折り合いをつけて生きる。葛藤しながら歩み続けている人は、きっと少なくない、いや、むしろ多いだろう。
子どもの頃、社会は、都合の良い「良い子」を求め、そこから外れると評価を下す一方で、自己表現を求めてきた。そのため、私は曖昧な評価の中で、どうすればいいのか分からなくなった。自己表現が大人の基準に合わせるための手段に感じ、怖くなった。無意識のうちに、根底で適応することが染みついていた。
理不尽や矛盾に従うことが自分の一部になると、思考や感情は停滞し、社会の歪みが固定されていく。疑問を持たず目を曇らせて生きることが最大の狂気だ。変えられるかどうかではなく、変えるべきかどうかを問い続け、本質的な価値を再考し続けることが重要だと思う。
社会の不条理は、自分だけの問題ではない。だからこそ、疲れたときには一度立ち止まってもいいし、時には流されることも、自分を守るための選択かもしれない。でも、その矛盾に向き合い、問い続けることが最終的に変化を生むきっかけとなる。だからこそ、私は、無理に変えようとはしなくても、自分の手の届く範囲で考え続けたい。
手紙
Karin
中学の時、同じ部活で初めてずっと一緒にいたいと思えた元親友へ。今まで燻ってきた私の気持ちをここに吐き出したいと思います。初めて同じクラスになれて、いつも二人で過ごしていた中2の一学期。いつの間にか4人組になっていた。そのうちの一人と一緒にいるようになってトイレも自販機もその子と一緒に行くようになった。ずっと私と一緒にいてくれるとおもっていたから、それに嫉妬して意地悪するようになってしまった。今思い返せばすごく幼稚なやり口だけど、その頃の私は嫉妬心にあふれていた。あんなに仲良かったのに。部活の班分けで一緒のグループになるためにお互い出す手を同じにしたり、片耳イヤホンして流行りのアイドルを見て時間共有したり。筆箱を色違いにしたり。でも。私の自己中心的な性格のせいで。部活でも無視するようになってしまった。この頃からあなたとの関係性は崩れていったような気がする。嫉妬しては意地悪してLINEで謝罪させた。最低だ。もはや友達関係とは言えない。ずっと一緒にいて欲しかったから。無視してしまった手前絶対に嫌われると思って、意地悪をやめて他の子と私以上に関わるようになるのが嫌でやめられなかった。部活に行ってもあんたは人気者だったからいつも私じゃない誰かがくっついてた。出会わなければよかったとさえ思うこともあった。微妙な距離感のまま中3になった。また同じクラスなれて嬉しかったけど、中2の時に邪魔だと思ったあの子も同じクラスだった。それでも最初の方は一緒にいてくれた。初めて作ったクッキーをおいしそうに食べてくれて嬉しかった。誰にもあげたくないって言ってくれて嬉しかった。でも、また邪魔が入った。また、繰り返した。中3の夏休み。あなたは部活を辞めた。私のせいだ。親友になろうって言ってくれて嬉しかったのに。香凛が誰かと話してると嫉妬してたって。同じ気持ちだったことにホッとして。なのに、自分の手でぶち壊した。本当は一緒にサンリオ行きたかった。なのに、突き放してしまってごめんなさい。本当は直接伝えたいです。たまに見かけても見てないふりして通り過ぎるのが苦しいです。自業自得なのはわかってる。でももう一度話がしたい。高校で出会ってたら今も仲良しだったかな?もう嫌われてしまったと思うけど大好きだったよ。
元親友へ
ひなた
お前9年間私のこと所有物だど思って接してきてたの私知ってるよ。幼稚園の時お前が私の保育園に遊びにきてそっから仲良くなったよね。今も思えばその時から所有物扱いかよ。お前が頼むから小4から学級委員やったよね。そのおかげで全然人前にたっても緊張しなくなったよ。小学校残り2年間委員長と副委員長で頑張ったもんな。お前のこと大体なんでもわかってた気がしてたよ。毎年ディズニー行って、学校でもずっとくっついてきて、だけど小学生の時、初対面の子には私あんまり人に好かれなかったよね。喋ってみたらこんなこだと思わなかった〜。もっと性格悪いのかと思ってた。って言われてさ中3になるまで怖くて聞けなかったけど勇気出して聞いたらお前私が仲良くなりそうな子に片っ端から根も葉もない噂流してたらしいじゃん。仲良くなった子にも、ひなたが私にこんな愚痴言ってきたよ。って言ってたらしいじゃん。私いつお前のこと殴った?すぐ不機嫌になった?いつ、仲良い子の悪口言った?私そんなことしてなくね?って思ったしお前と過ごした時間がすごくもったいなく感じたよ。お前の前でずっとニコニコしてたじゃん。それすら見えなかった?どんなに仲良くなっても所詮他人は他人だよねって思ったよ。小5の時、バレーでお前にポジション取られて死ぬほど凹んでた時、お前同じクラスの子に私がお前を陥れようとして返り討ちにあったって言ったの私小5からずっと知ってたけど何も言わなかったよね。それ言われて死ぬほどむかついたから頑張って練習してセッター取ってずっとボールに触るポジション勝ち取ったよね。信じたくなかったし。でも、やっぱ無理だわって思ったら新親友と仲良くなって同じ名前なのに、どうしてこんなに息のしやすさが違うのか不思議だよ。中学校もお前が私がいないと何もできないっていうから、学級委員やって遅くまで残って、先生たちに案通していろいろ作ったのに中3のアレはないだろ。
お前と縁を切ってから人と縁を切ることに特に何も思わなくなったよ。どんなに長く一緒にいようとも信頼は一瞬で崩れるし、縁を切っても苦しくなかった。自分にとってその人と居て苦しかったら離れた方が楽になるし、視野が広がる。学校だけが全てじゃないから切りたかったら切っていいと思う。どんなに長く一緒にいようとも、合わないやつは合わない。無理に合わせなくていい。でも逆に合うやつはいる。新親友は、まじでそう。互いが対等であると、本当に息がしやすくなる。学校とか、人間関係って対等にみてることが少ないと思う。どこかで他人を見下してるし、どこかで自分はこの人よりも遥かに下だと思ってるところがあると思う。だけど、それがない人に出会えることは本当に幸せだと思う。新親友と出会えたのもまぁ、お前が居たからだと思うと感謝してるよ。新親友は変に吹っ切れてるから面白いし、ずっと話してたい。会いたいって言って無理って言ってくるとことか、私が1言ったら10で帰ってくるとことか、互いが互いの機嫌を伺わずに入れることがこんなに素晴らしいことだって気づけたし、無理に笑顔作らなくていいって考えたらすっごくスッキリした。高1の夏初めぐらいに泣きながらお前の家に行ってもちゃかしながら話聞いてくれて、大丈夫?じゃなくて、それはお前も悪いとか慰めだけじゃない言葉がどれほどありがたかったか。嫌いな人だったり、普通の人だったり、友好関係に置いて好きな人だったりそういう人に出会えても、最高に気が合う人は全然居ないし、出会ったら手を離しちゃいけないけど、苦しくなったら人と距離を置いた方が絶対気が楽になる一緒にいる期間が長ければ長いほど世界はその人だけになっちゃうから、離れていろんな人と友好関係を築いていたほうが楽になるし世界が広まるから離れる勇気を持ってみて。
19歳
松子
誕生日はいつだって人生一度きりなのに、19歳と20歳の間には、何か特別な境界線が横たわっているように感じてしまう。そこを飛び越える前と後では「何かが」違う。日本人の性だ。日本では数年前に、成人年齢が20歳から18歳に引き下げられた。それでも、20歳が特別な節目であることに変わりない。私はそのことを小学校で教え込まれた。日本の小学校では「2分の1成人式」という行事が催される。20歳の半分である10歳を節目として祝い、来る特別な「20歳」に向けて、20歳までの人生プランや、20歳の自分のイメージを、これでもかと考えさせられる。両親への手紙、20歳の自分への手紙を宿題として書き、3月の体育館で挙行される「2分の1成人式」本番では、なぜか20歳の自分になりきって「今なにをしているのか」スピーチをしなければならない。「私は今、大学に通ってサークルとバイトをして、気付いたら1日が終わっています」というのはナシだ。10歳の私たちには一人ひとり大きな夢があることが大前提で、そして20歳の私たちは揃って、その夢を少しでも叶えていたり「何者か」になっていなければならない。最後は皆で大合唱だ。「10歳の僕たち 昨日までとは何かがちがう~♪」一体何が違うというのだ。今ならそうツッコミたくなるが、初春の陽気に包まれた体育館は、感動と未来への希望でいっぱいになる。10歳の時点でこんなんだから、「20歳になる」とは日本人にとっては各段に特別で、劇的な変化なのだ。勿論、10歳の私も「小説家になる」という大きな夢を抱いて、その体育館にいた。私はデパートで買った小説家風のレトロな服を着て、20歳の私になりきってこう言ったものだ。
「わたしは、小説家です。今世界にみとめられるような本を一生けん命書いています。たくさんの人を笑顔に出来るお話を作るため努力しています」。
夏が来たら、20歳になる。私は今、19歳だ。
私は、大学生です。生まれたときから背中に翼が生えているような同級生たちに劣等感を抱かないように一生懸命「大学生」しています。たくさんの人を笑顔にするためアイドルのサークルに入ってアイドルをしています。
おっと時間切れ。19歳の私が「今の私」をテーマにあの体育館でスピーチをしたら、「お話を書いている」まできっと辿り着かないだろう。まさに「私は今、大学に通ってサークルして、気付いたら1日が終わっています」だ。今これを書いている私、19歳の私は、小説家志望のままだ。漫画家になりたいと熱っぽく言ってたあの子も、お笑い芸人になりたいとコンビ名も考えていたあの子たちも、10歳の自分を鼻で笑うように、未熟な子どもの言動になんとなく「可愛いなあ」と言うように、どこかに夢を置いて、19歳になった。今は、国立を浪人で受験したりドミノピザのバイトで貯めたお金でドライブに行ったりしている。その点、私は一途に小説家志望のままだ。10歳の頃からずっと憧れていた作家の会社でアルバイトを経験した。それだけは少し胸を張って10歳の自分に報告できるだろうが、そんなんでは納得してくれないだろう。現にこの記事ひとつ満足に書けていない。これ書くの何度目だよ。
「10歳の僕たちは昨日とは違うんだ」と歌わされた10歳の私たちは、あれだけ将来のことを考えたからか、「明るい未来をひた走る」20歳になりきったからか、10歳になって確かに何かかが変わった気がしていた。そして当然のように、20歳になれば、もっと違うんだ、もっと何かが変わるんだと思っていた。漫画家にだってお笑い芸人にだって小説家にだってなれると思っていた。20歳になれば。そしてその夢は、純粋に「叶いますように!」と応援されていた。10歳の私よ、今「頑張れ!」と応援されているその夢、9年後にはバイト先のおばさんに「野望だね」って一蹴されるよ。それもこれも、純粋に「頑張れ」と言われ続けられる9年間に、私がしてこなかったせいなのは、分かっている。初めて賞を取る予定だった年、私はお話を書くのがただ楽しいだけではなくなって、書くことを一旦やめた。入りたかった文芸部ではなく、なぜか合唱部に入った。居心地の悪い中やめるにやめられなくて無駄な時間を過ごしてしまった。はじめて長編小説を書きあげる予定の年は、自分の小っちゃなプライドを守るために勉強ばかりしていたし、18歳のとき弟子入りしようと考えていた作家は、私が13歳のとき50代で死んだ。19歳ではその作家のもとでお話を考えて、20歳、新人賞受賞、小説家デビューの予定だ。20歳までの堅実な人生プランが書かれたページに、当時の担任の先生は大きな花丸をつけてくれている。19歳の私は、それがすごく皮肉に思えて、悔しくてたまらない。アプリに日記を書いて、5個くらいのいいね!を貰って、大教室の隅っこで本を読んで「いいな」と思った表現をちまちまメモしたりして、でもお話は全然思いつかなくて、誰かが文章のことで褒められる度にドキドキしてしまって、「野望だね」なんて言われたその不満を燃料にしたらスラスラ言葉が出てきてしまって、でもでも結局、自由な大学生活で小説1本書けやしない、いつまでたっても小説家志望の、19歳の私は、花丸を、もらえるんだろうか。だって、これが現実なんだ。これが本当の、20歳になっていくってことだったんだ、私にとっては。特別だと思っていた境界線を飛び越えたって特に何も変わらないと知ってしまった19歳の私は、もう20歳の自分が「何者か」とかは特に気にもならなくて、どちらかと言えば遠くに置いておきたいことで、むしろ10歳の私が今の私をどう思うかが気になって、20歳の私に宛てられた手紙を読んでみた。
「20歳の白瀬美波へ」。ああ、親が離婚して名前変わるのまだ知らないんだ。今の名前と違うからか、別人からの手紙のようにも感じてしまう。「20さいの私はどうですか?作家のゆめをかなえていますか?」夢が叶っていること、「何者か」であることが前提の空気で、こう言ってくるのは当然だろう。あの小学校にいた、20歳の私たちは、皆、夢に向かって迷うことなく闊歩していなければならない。そうでないと花丸をもらえない。
「もしかしたら何か失敗して立ち止まってるかも」・・・は???「そしたらこの手紙をよんでね」。「楽しい話をかこうとしないでね。思いつかないときははじめと終わりだけ考えて、中を考える方法もあるよ」なんでか、10歳の私は、「失敗して立ち止まってる」20歳の私にアドバイスをし始めた。好きな作家が言ってたことをそのまま、私に投げてくる。「世界にみとめられてたくさんの人が笑顔になれるような話。どんなに悲しい顔をした人でも笑顔になれるようなお話をかいて!」はいはい、それが、超難しいんだよ。世界だってさ。高校生小説コンテスト審査員の気難しいおじいちゃんにだって認められないんだよ。笑顔にしたいだって。今だって思ってるけど、そんな臭いこと言ったら、私が笑われちゃうんだよ。「おさない気持ちでかんがえて!」はい、ダメ押しのアドバイス。最後にもってきたんだからこれが1番言いたかったのかな。でも、おさない気持ちって、なんだろう。おさないままでい続けたら、ズタズタに傷つくのに。弟子入りもしていない、賞一つとっていない19歳の私は、一体いつ大人になるんだろう。大人じゃないとしたら、おさない気持ちで今も書けるのかな。
「10さいのころのからの大事な夢」。ねえ、20歳になったら小説家になれるとでも思ってた?小説家とは遠いところで、単位落とさないように勉強したり、アイドルになりきって1日中踊ったり、メイクの研究したり、その時間が文章を書く時間よりもずっと多くても、それでも、5人くらいしかみてくれない日記を力込めて書いたり、今こうして、この文章で何かが変わるかもって、雑誌に記事が載ったら誰かが見つけてくれるかもって、お昼ごはんも食べないでパソコンに向き合ってる私も、紛れもなく、未来の「私」だって、言ってくれる??? 20歳の私は、夢を叶えていないといけない。合唱曲にある通り、「何かかが違」くないといけない。そんな、明るい前途を信じて止まない日本の小学校の、4年1組の教室で、10歳の私は「立ち止まってる」私に言う。
「10さいの私もがんばるから、だから小説家のゆめぜったいにあきらめないで」。
・・はーーーなんだよ。ちゃんと、わかってんじゃん。さっき、この文章を書くためにあの時の合唱曲を聞いてみて、散々うたったはずなのに、1節も覚えていなかった自分を思い出す。不安だったんだ、なんとなく。20歳は特別という空気の中で、「一体なにが違うんだ」ってなんとなくツッコんでいたんだ、きっと。だって、くどいアドバイスも、この最後の1文も、夢を叶えていない人間にかける言葉じゃないか。「野望だね」以外の、夢を叶えていない人間を、純粋に励まして、背中を押してくれる言葉だ。久しぶりに言われた。小説家の夢を、「がんばれ」と。
今これを書いている私は19歳で、小説家志望だ。 夏が来たら、20歳になる。でも、夏が来たって小説家になれないのは知っている。20歳の特別な境界線なんて幻想でそこを飛び越えたってなにも変わらないのも知っている。そうやって、もう色々知ってしまったのに、それでも10歳のころの夢をずっと抱えている、そんな19歳だ。「野望だ」と言われる夢を、すでにガクチカを積む同級生のとなりで、必死こいて繋いで、なんとか形にしてやろうともがいている19歳だ。現時点での実力も実績も度外視して、ただ「いつか直木賞獲ってやる!」と調子よく考えている19歳だ。これをおさなさと呼ぶのなら、私はきっと、まだまだ、全然、書ける。絶対に。これからだって、書ける。そうだ、そうじゃん、私、まだ、19歳じゃん。何も20歳で人生終わるわけじゃない。20歳の先の、誕生日でも節目でもなんでもない日に、私だけの、特別な境界線が待っているかもしれない。何年かかっても、20歳なんてとっくに過ぎたって、私は、10歳の初春に私が描いた未来にならないといけない。
異常気象の2025年、春が来たらいつもよりずっと早く夏がやってくる。それでも、ただ、堅実に書いて、繋いでいくだけだ。純粋に「頑張れ」と言われなくなったって、ただ、書き続けていくだけだ。おさないままでズタズタに傷いたって、その方がなんかおもしろいことも19歳の私は知っている。おさなさと夢を抱えて、ただ、その何でもない境界線を、飛び越えるだけだ。「19歳の私も頑張るから、だから小説家の夢絶対諦めないで」と言いながら。
やさしさ
ひまわり
やさしさとはなんだろうか。
それは人の心にそっと触れるような「温かさ」であるかもしれないし、単なる親切ではなく、相手の気持ちを理解し寄り添おうとする「姿勢」そのものであるかもしれない。あるいは、誰かが困っているときに手を差し伸べる「行動」や、言葉にできない痛みを感じ取って、そっと見守る愛のような「感情」的なものであるかもしれない。 そして、時に私たちは、相手の成長を願ってあえて突き放すことが必要な場面に出逢い、「厳しさ」の中にもやさしさがあることを知る。また、思いやりの心を持ち続け、無条件で見返りのない愛を注いだり、相手のために辛い選択をしなければいけなかったりする。やさしさには覚悟や責任が伴うことがあるのだ。だからやさしさとは、自分を見失わない、傷つくことを恐れない「意志」や「信念」、「自分軸」とも言えるだろう。
あるいは、やさしさをもつためには「強さ」が必要なのかもしれない。誰かにやさしいと思われる、誰かにやさしさを分け与えてあげられる、このような人を探した時、人々はおそらく「ヒーロー」のような存在を想像すると思う。私はヒーローのような人になるためには強さが備わっていないといけないと考えている。強さの定義は人によって様々だが、‘強さ’がある人々はみな共通して、辛い過去や悲しいできごとを乗り越えたという事実をもっていると個人的に思う。人は逆境や挫折を通じ、苦労や苦痛を通してより成長する。盾も剣ももっていなかった人間が、模索しながら困難と向き合い、戦い、乗り越える過程を学ぶ。だからその時に人々は、どのように闇と戦うのかを知り、自分を助け支えてくれた人々への感謝の気持ちを覚える。こうして人を信じることを学び、人と繋がっていく。そして、自分も誰かに手を差し伸べてあげたいと思う。だから強さをもっている人々はやさしいし、やさしい人々は強さをもっている。自分がどのように成長したかを理解し、人々がどのように自分を愛で満たしてくれたかを知っているからだ。苦しみを経験した時や辛かった時に溢れるほどのやさしさを受け取ったからだ。優しい人ほど傷つきやすいとよく言われるが、それでも人を信じ、手を差し伸べることができる心の強さがあるからこそ人々は助け合い、支え合うことができるのだ。
だから、もしかしたらやさしさとは、与えたり自覚したりできるものではなく、ただ自然と溢れてしまい、人の本質に存在している、「人としての在り方」であるのかもしれない。
では、結局やさしさとはなんなのだろう。
人によってやさしさを感じたり受け取ったり瞬間は違うし、人それぞれ感情も愛の形も違う。だからやさしさを定義付けることはできないし、全ての人がやさしさをもっているとしてしまってもいいのではないだろうか。 なぜならば、時にやさしさは全てのことに当てはまるように思えるし、深く考えるほど矛盾が生まれていくからである。そのため、人それぞれ自分なりのやさしさをもっていればそれでいいのだと思う。自分の存在が知らないところで誰かの助けになっていたり、逆に誰かの何気ない言葉に救われる人がたくさんいるだろう。だれもがやさしさを秘めていて、だれもがだれかの希望の光になり得る。 だからみんなに知ってほしい。今辛い状況にいる人も、楽しい生活を送っている人も、世界中の人々に。やさしさは、目に見えなくても、形としてあらわれなくても、すぐそこに存在している。一人一人の心にちゃんと在る。
こう言うと、ほんとうに自分はやさしさをもっているのだろうか、と考えてしまう人もいるだろう。そう考えられている時点でやさしいが、そんな人はまず、家族でも友達でも自分でもいい、人でなくなたっていい。誰かの、何かの幸せを願ってみてほしい。人に寄り添ったり、気遣ったり、思いやったり、時に厳しいことをしたり… ヒーローみたいになれなくても、‘幸せを願う’ことはだれにでもできる。願うという行為は、目に見えないけれど確かにそこにあるし、それをした瞬間に、自分の心の中にやさしさが存在していることが証明される。心に宿っているやさしさは、もしかしたら意識した瞬間に顕在化するのかもしれない。つまり、「やさしくなりたい」「(自分や他人に)幸せになってほしい」と思った時点で、すでにやさしさは可視化されているのだ。そして、それをどう行動に移すかが、その人にとってのやさしさの形になる。この世にいる数多くの囚人や良い人間とは呼べないような人々はただ、心の奥深くに眠るやさしさを呼び起こす方法、つまり自分なりのやさしさや、やさしさの表現方法をまだ探しているだけなのだ。どんな過去を抱えている人でも、どんな感情をもっていても、どんな人も、すべての人がやさしさをもっている。自分だけの愛の形、「私」という人間の本質を―。